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「絆」の意味を僕たちはまだ知らない

「東北復興支援ツーリング」

皆さんも何らかの形で参加、もしくはソロツーリングとして行かれたことは無いでしょうか?

東日本大震災の発災から7年。

被災地に親類もいなければ、仕事の用もない。

今なぜ「東北復興支援」のために「ツーリング」なのか?

恥ずかしながら筆者もそうでしたから、「東北復興支援ツーリング」と言っても、その意義がわからないという方も少なくはないと思います。

今回筆者は初めて東北復興支援ツーリングに参加したわけですが、結論から言ってこのツーリングは、これまでにないほど自分の家族に対する思いを深めるきっかけとなりました。

発災当時あまりにも多く使われた「絆」という言葉。

今日バイクで訪れた被災地の風景の中で見つけたのは、その言葉のリアルな意味だったのかもしれません。

いつもとは違うロングツーリング

2018年の6月2日、筆者も会員に名を連ねる「NO BIKE NO LIFE」(以下 NBNL)が、宮城県石巻市で東北復興支援ツーリングを行いました。

NBNLは児童虐待防止を訴えるパレードランや、クリスマスにサンタクロースになって児童養護施設を訪問するなど、バイクと社会奉仕を結び付けた活動も行うWEB上のバイクサークル。

今回は東北復興支援ツーリング「石巻MTG」として約30名ほどの参加者を集めました。

発災直後、東北復興支援といえば、壊れた家屋のお片付けをしたり、ボランティア活動をしに行くようなハードなもだったと思うので、そうしたツーリングを想像する人もいるかもしれません。

しかし今の被災地は瓦礫からは解放されているので、復興支援は、経済ツーリングの目的は経済復興のお手伝いがメイン。

ツーリングライダーが被災地を訪れて財布のひもを緩め、飲食をしたり、ガソリンを入れたりするだけでも、微力ながら東北の経済復興のお手伝いができるのだそうです。

今回も、地元東北を中心に活動するツーリンググループと交流し、集団で訪れることで経済支援をしようというのがツーリングの目的。

筆者も「バイクで力になれるのならば」と張り切りました。

石巻の集合場所までは6~7時間は有にあるという道のり。

朝の4時半から中央道の国立府中をあがったのち常磐道で北上。

サーキットで慣れ親しんだ筑波や水戸を通り越し、圧倒されるほど鮮やかな山の緑を抜けると、バイザー越しに高台から碧い水平線が青空と共に果てしなく続いています。

梅雨入り前の滑り込みセーフのような素晴らしい晴天を征く久しぶりのロングツーリングを快調に楽しむ筆者。

北上に伴い、案内標識は次第に浪江・双葉・楢葉町といった被災地の町の名を案内するようになってきました。

ちょうどそのころ、緑の風景の中に「ある特徴」を見つけ、それに胸が締め付けられるような思いがしました。

都会生まれの筆者が不覚にも「美しい」と思ってしまったその緑の正体は、人が手入れをすることがなくなって荒れた田畑だったのです。

バックミラーに追い越していく田畑の痕跡。

本来なら田植えを終え空を映していたであろう元の里山の風景に地元の無念さを思い、震災がとうに過ぎた過去のものではないことを教えているようで知りました。

それでも、右手に広がる海は凪いでいてバイクにも優しい風を届けてくれています。

余りにも穏やかな風景の中で、にわかには信じがたいことでしたが、「あの日」確かに海は荒れ狂ったのです。

現地ライダーも地域と活動中

そして、集合時間の午前1130分。

待ち合わせのホテルサンファンビレッジに到着すると、バイクを囲んだなじみの笑顔が待っていました。

そこには東北で復興支援のため活動をするライダーの姿もありました。

集まったメンバーを前に「がんばろう!新地」という旗を持つ男性は、「復興フラッグキャラバン」という活動をしているHoshizo Ranzanさん。

彼が手にしている旗は津波で流された福島県の新地町のシンボルとなっている「復興フラッグ」。

このフラッグは、捜索・復旧活動で活動した自衛隊員が、がれきの中から一枚の日の丸を発見し、壊滅した街並みに思いを寄せて掲げたのが始まり。

以降、日の丸には復興の思いをしたためた寄せ書きが加わりますが、せっかくの思いを載せた日の丸は風雪と共に劣化してしまいます。

この劣化に気づいた、地元のライダーたちが仲間に呼びかけて、みんなの笑顔とメッセージをデザインした4代目となるこの旗を掲げ、「復興フラッグ」と呼ぶようになったそうです。

震災を風化させないようにとこのストーリーを語り継ぎ、バイクイベントを巡りながら活動しているのが、「復興フラッグキャラバン」。

現在、5代目となるフラッグが新地町役場で展示中で、まもなく完成予定の復興防災緑地公園に掲揚される予定なのだそうです。

公園には大きなバイク駐輪場も完成予定だといいますから、改めて見に行きたいですね。

(※公園の完成時期などについては、新地町役場までお問い合わせください。)

 かつてない感情がこみ上げる

集合ののち、彼らとともに一路牡鹿半島をめぐり、金華山を望む御番所公園までの交流ツーリングが行われました。

対岸の金華山の岸に見える白い部分が、津波の爪痕なのだと地元のライダーが教えてくれました。

目の前に広がるのはうららかな海の風景。

このうららかさの中で、自然の脅威を再認識した筆者でした。

この公園を後にしながら、一行はさらに牡鹿半島をめぐります。

途中海沿いの道で片側交通の車線規制で止められることが多くなりました。

それは高い堤防を建設する護岸工事によるもの。

海岸線という海岸線ではどこもこうした風景を見ることになります。

工事は今も進められていて、こうして少し走っただけでも、震災はまだ終わっていないのだと実感します。

そして、我々は「石巻市立大川小学校」へ。

正門の前に設置されている慰霊台に全員が黙とうをささげ、見学をさせていただきました。

ここは海から3.8kmも離れた場所。

津波の破壊力がすさまじく、

本校舎と体育館を結んでいた鉄筋コンクリート製の渡り廊下が無残にねじ曲げられて倒れています。

108名の全校生徒のうち、実に74名もの子どもたちが犠牲になり、当日お勤めだった11人の教職員の方々も10人が帰らぬ人となりました。

この日は本当に穏やかな快晴。

3月11日は雪だったそうですが、今この場所にいると、子どもたちの楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてきそうです。

実は筆者の娘が通う小学校も、背の低いモダンな作りをしていて、裏山の前にある校庭の感じも含め全体的によく似ています。

そのため、いつの間にか娘の通う小学校の風景と、目の前の惨状がオーバーラップしてしまいました。

校舎をねじ切るほどの大津波。

楽しく遊び帰宅を待っていた子どもたちに訪れたその一瞬が、どんなに恐ろしいものであったか。

ここに娘と同じような子がたくさんいた?

筆者はしばらく出す声もなく、こみ上げる感情を必死で抑えていました。

テレビでは空撮映像でよく見ていたこの扇型のモダンな校舎。

筆者はいろいろと知っている気になっていたように思います。

ニュースで知っている。

ネットで何が起きたかを見た。

筆者もそうです。

確かに知っている。

でも知れは単なる情報であり、ニュースコンテンツの一個でしかないのです。

リビングの液晶テレビやパソコン、あるいはスマホの画面で見たことですべてがわかったつもりでいる。

画面のサイズで一方的に伝わる情報を聞き入れるのと、惨状の現場に身を置いてそこで感じる感情というのはまったく別ものなのだと、この風景は教えてくれました。

あの朗らかな空の下で見た小さな命たちの無念。

これを思うとき、約500㎞彼方に置いてきた娘や妻がなぜか思い起こされ、胸の奥から付きあがってくるものがありした。

「絆」とは被災地を知って家族を思うこと

翌日は自由解散ということで、ゆっくり帰り支度をしていると、一人の男性メンバーが声をかけてくれました。

「女川町立病院にはもう行かれましたか?」

聞けば現在女川町地域医療センターとなっているその場所も、多くの被害を受けた場所。

ホテルからバイク約15~20分ほどというので、一緒に立ち寄ることにしました。

高台の病院。

駐車場に着くと彼は深呼吸をするように、護岸と土地のかさ上げ工事の進む街を眺めて言いました。

「まだ工事が進められていますが、これでもずいぶんきれいになったんですよ。」

聞けば彼は自衛官で、発災直後からこの町の復興に携わってきたといいます。

「ここから見下ろす風景、そして今立っているここもすべて海になってしまったんです。」

この女川町地域医療センターは、高台にありながら一階部分が大きく被災した経験を持ちます。

病院の入り口の柱には、彼の言うように、

到来した津波の高さが記録されていました。。

千年に一度という大津波。

敷地内には、「千年後の命を守るために」と刻まれた碑がたてられていて、

千年後の人たちへのメッセージが刻まれています。

「もしも大きな地震が来たら、これより高いところに逃げてください」

この碑からは命尊さを感じるとともに「生きろ!」という強い叫びを感じました。

じっと碑に見入る筆者に、彼は大川小学校の保護者の方のお話として、こう話してくれました。

「自分たちにはあるべきもの、つまり効力のある防災対策がなかった。

なので、この惨状に同情するのではなく、今いる自分たちの地域や家族に見聞きしたことを持ち帰って話し、どう備えるかを考えてもらいたい。

そのためにも、多くの人が被災地を訪れて、被災地を知ってほしい。

これが被災された方々の声なんだ。」

発災からつぶさにこの町を見てきて、現地の人と心を通わせてきた彼ならではの話。

「遊び半分に被災地に来ていいのか?っていう人も多いんだけど、訪れた人たちが財布のひもを緩めるだけでも、被災地には大きな力になるんだよ。

何より、現地の人は被災地の今を知ってほしいんだ」

 筆者はしみじみとその言葉をかみしめながら、復興支援ツーリングの意味を再認識しました。

それはしっかりと生きて大切なものを守れというメッセージを、被災地の空気の中で感じ取る旅。

「だからまた来ようって、毎回そう思うようになるんだよ」

彼にそう言われるでもなく、『また来たい』と言う気持ちが、すでに筆者の心の中にありました。

 まとめ

私たち現代人はいつの間にか、流れてくる情報の消費者になってしまい、それらを知ったつもりになって深く考えることがなくなっているのではないか?

これは大川小学校から宿に帰って一人悶々していた時に湧き上がってきた感情です。

発災当時もテレビでは「絆」という言葉が数多く流れていましたが、その意味をしっかりと受けれてていなかったことを、7年目の初夏にようやく気づかされた気がします。

被災地と呼ばれる場所。

自衛官の彼が言っていたように、はじめから神妙な気持ちになることはありません。

NEXCO東日本の「ツーリングプラン 東北道・常磐道・磐越道コース」を使えば、石巻までは8,720~8,960円で往復が可能です。

テレビでしか見たことがないという方は、ぜひツーリングに来てその場所に身を置いてみてください。

被災地の今を知って、感じて、それを身近な人に話すこと。

これが「絆」という言葉の意味なのだと知りました。

筆者が被災地からもらったものは「生きる力」。

機会を作って、今度は家族で行ってみたいと思います。

※発災から7年が経過した今でも、被災した学校や病院、その他まだ傷の癒えない場所が多くあります。

そこは多くの人が犠牲になった場所で、遺族の方々の感情もある場所です。

インスタグラムでピースして写るようなところでは決してありません。

言うまでもありませんが、被災地にツーリングでこうした場所を訪れる際は、くれぐれも道徳・マナーに配慮してください。




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