

個人的に申し上げますと、Ninja ZX-10Rというマシンは、いまだKawasakiのスポーツ哲学を背負う重要な一台です。サーキット直系のスーパースポーツが米国の公道で生き残れるのか、賛否は分かれるところでしょう。私は長くKawasakiを愛してきた者として、このモデルの立ち位置を冷静に見つめ直したいと思います。Z1から始まり、GPZ900R、ゼファー1100と乗り継いできた身からすれば、ZX-10Rは「直四スポーツの最終形態」とも言える存在。賛成派にも反対派にも与しすぎず、私なりの結論を述べさせていただきます。
目次
私はZX-10Rをこう見た
私の率直な感想を申し上げれば、Ninja ZX-10Rというマシンは、Kawasakiが頑なに守り続けるリッタースーパースポーツの矜持そのものです。SBKで磨かれた水冷直列4気筒、約200馬力級のパワーユニット、ショーワのバランスフリーフロントフォーク。これらは安易に量産化できる代物ではありません。私の手元にはゼファー1100とZ1がありますが、これらの空冷直四から見ても、ZX-10Rのエンジン哲学は確実に地続きです。1972年のZ1で確立された「マッシブでムキムキな直四」というKawasakiのDNAが、最新の電子制御と熱マネジメントを経て、なおサーキット指向で残っている。これは奇跡的なことだと私は思います。米国の公道で乗りこなせるかという問いに対して、私は「乗りこなす必要などない、所有しているだけで意味がある」と答えたい。GPZ900Rを25歳で買った頃、私は峠で限界まで攻めることが正義だと信じていました。しかし57になった今、リッタースーパースポーツの価値は走り切ることだけではないと痛感しています。系譜を背負った機械を、自分の責任で維持し、たまにサーキットで開放する。それで十分なのです。ZX-10Rは、その対象として今なお筆頭格だと、私は迷わず申し上げます。
業界視点で評価するZX-10Rの現在地
客観的に業界の状況を眺めますと、リッタースーパースポーツというカテゴリーは、ここ十年で確実に縮小しました。BMW S1000RR、Ducati Panigale V4、Yamaha YZF-R1、Honda CBR1000RR-R、Suzuki GSX-R1000R、そしてKawasaki Ninja ZX-10R。かつて百花繚乱だった顔ぶれは、販売の苦戦と排ガス規制で多くが姿を消しつつあります。Suzukiは新型開発が見えず、Hondaも価格高騰で限定的、Yamahaは欧州で公道仕様の終了を発表しました。そんな中、ZX-10Rが米国市場で「公道仕様のスーパースポーツ」として継続販売されている事実は、業界的にはかなり貴重です(出典: https://news.google.com/rss/articles/CBMiugFBVV95cUxQZE0zY3BGdklQQ3NRbWE5TGY4QXNteWloQ3ZVLVNSdFpnVG85cTNqOHFhdEktXzdOWTB1NDFNeXFmMzNOaS1MaXhsT2tqekRCc2tmbEYwOVBQcWVlak9FOWZYR3VFcS1rVGtfaDdDYXZQLTA2YlhGV3M4ZmRIODBRaGJPTDROYTd1WFBHdjlzZk44N3BlZktGYk53UWR3R2FOWXZuREZIaUxvY0wxMUNObjNEYWF3bkM3ZHc)。Kawasakiという会社は、無骨に直四を守ることに執念を見せてきました。Z1、Z1000Mk-II、GPZ900R、ZZR1100、ZX-12R、そしてZX-10R。系譜の太い幹がぶれない。これは経営判断としても、ブランド戦略としても評価されるべき姿勢だと私は思います。一方で、現実問題として、最新のZX-10RはEuro5+対応で吸排気が締め付けられ、本来の鋭さがやや鈍ったという声も業界の現場から聞こえます。SBKで戦うベースマシンとしての価値と、公道スーパースポーツとしての商品力。この二つを両立させる難しさは、メーカーにとって相当な負担になっているはずです。
ユーザー視点で見たときの実用性
ユーザーの視点に立つと、率直に申し上げて、ZX-10Rを街乗りで活かしきるのは至難の業です。低速域のギクシャク感、強烈な熱、極端な前傾姿勢。日本の混雑した街中はもちろん、米国の郊外であっても、信号待ちのたびに腰と手首に負担がかかります。私のゼファー1100は街中で機嫌よく走りますし、Z1も低回転からトルクで押し出す古き良き味があります。これらと比べると、ZX-10Rは明らかに「使う場所を選ぶ機械」です。しかしです。ユーザーが何を求めるかで評価は反転します。サーキット走行会に年数回通うユーザー、あるいは早朝のワインディングを刺すように走る派にとって、ZX-10Rのシャシー剛性とブレーキ性能、電子制御の精度はクラス屈指でしょう。とくに最新型のIMU連動トラコン、ローンチコントロール、エンジンブレーキコントロールは、十年前のリッターSSとは別物の安心感を与えてくれます。私が45歳の頃にレストアしたZ1の質感とは別次元の、現代的な道具としての完成度です。要はライダーの使用目的次第。万能ではないが、目的が合えば最高の相棒になる。これがユーザー視点での偽らざる結論だと考えます。
賛成派の言い分、反対派の言い分
賛成派の言い分を整理しますと、まず「Kawasaki直四の系譜を継ぐ希少な公道マシン」という点が筆頭に挙がります。ZX-10Rがなくなれば、Kawasakiのスポーツ系譜は事実上ZX-4R系とZ900系列に縮小されてしまう。これは長年のファンにとって受け入れがたい未来です。第二に、価格対性能比。同等の電子制御と車体性能を持つ欧州勢と比較すれば、ZX-10Rは依然として現実的な選択肢です。第三に、SBKでの実績。ジョナサン・レイが築いた六連覇の伝説は、もはやモデルそのものの文化資産でしょう。一方、反対派の言い分も理解できます。第一に、もはや時代遅れではないかという指摘。電動化やアドベンチャー全盛の今、リッターSSに開発リソースを割く意義が薄い、と。第二に、規制対応で角が取れた現代SSは、十年前のZX-10Rのほうが面白かったという声。第三に、街乗りで使えない機械を新車で買う意味があるのかという、ごく真っ当な疑問。私はどちらの立場にも一理あると認めます。ただ、文化的価値と商品価値を切り分けて考えれば、賛成派の主張のほうがやや重みを持つというのが私の見立てです。
結論として、私はこう判断します
結論として申し上げます。Ninja ZX-10Rは、Kawasakiという会社が直四スポーツの旗を降ろさないという意思表示そのものです。私はその意思を尊重します。米国の公道で本当に必要かと問われれば、答えは「必要ない人のほうが多い」でしょう。しかし、必要とする一握りのライダーのために、この一台を残し続けるメーカーの覚悟は、私のような旧車乗りにとっても励みになります。私のガレージにあるZ1は1973年式、ゼファー1100は1992年式、W650は2000年代の車両。年代も性格もバラバラですが、共通しているのはKawasakiが「無骨で正直なエンジンを作ってきた」という事実です。ZX-10Rもまた、その正直さの延長線上にある。電子制御の皮を被っていても、開けたときに前へ突き進む感覚は、Z1から脈々と続くものだと私は信じています。希少性、オリジナル度、メンテ難易度。どれを取っても、十年後、二十年後にこのモデルは「2020年代のKawasaki直四SS」として確かな価値を持つはずです。買うか買わないかは、読者ご自身が己のバイクライフと向き合って決めるべき問題でしょう。
まとめ
私の立場をはっきり申し上げます。Ninja ZX-10Rは「万人に勧められるバイクではない」が、「文化的にも商品としても残すべき一台」です。Kawasakiの直四スポーツの系譜は、Z1からゼファー1100、そしてZX-10Rへと確実に流れています。この流れを途絶えさせないために、私は新車市場でZX-10Rが選ばれ続けることを願います。読者の皆さんに問いたいのは、自分が何を求めてバイクに乗っているのか、ということです。サーキットでの限界性能なのか、街での快適さなのか、所有する歓びなのか。ZX-10Rは「所有する歓び」と「限界性能」を両立できる稀有な現代SSです。気になる方はぜひディーラーで実車を眺めて、跨いでみていただきたい。判断はそこから始まります。

