ハロー令和のバイクシーン!昭和と平成を振り返ってみた。
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昭和、平成を経て明くハロー「令和」

「平成」も終わり、2019年5月1日から元号が「令和」に改まりましたね。

世の中が喪に服す雰囲気に包まれていた「昭和」→「平成」の改元。

つい昨日のようですが、その時の生まれた人たちがもう30歳?

「マジかよ」と、ため息をつきながら人生2回目の改元を迎えようとしている50歳の私です。

しかし「令和」は、30年前の正月明けの改元よりも晴れやかに、「ハロー令和!」という感じで迎えられるのがいいですね。

なんとなく、「これからどうしてやろうか?」と、何か仕切り直しのきっかけをもらったような気がしています。

そんなこんなで今回は、「昭和」・「平成」それぞれの時代のバイクシーンを振り返りながら、「令和」バイクがこれからどうなっていくのかを考えてみました。

昭和と平成のバイクをザックリと回想

昭和20年の終戦以降、それまで軍需工業を担ってきた会社が各々の技術を活かしてバイクを造るようになりました。

富士重工や三菱がスクーターを造り、ブリジストンもかつてはバイクを製造・販売していたと言いますから驚きですよね。


1946年発売の富士重工(現SUBARU)のラビット
初期のモデルの車輪は富士重工の前身、中島飛行機で余った戦闘機の尾輪を流用していたらしいです。

昭和20年の終戦からの黎明期

当時は、安価な移動・運搬の手段として求められたバイク。

ですが、バイクに求められたものが単にそれだけしかなかったならば、恐らくバイクは車にとって代わられて消滅していたかもしれません。

ではなぜバイクが今日のように愛好され、発展してきたのか?

端的に言えばそれは、風を切って走る爽快感が車にはなかったからだと思います。

風の中で感じるバイクの加速感は、人が手軽に手に入れられる力であり、その爽快感は人々に自由への希望と勇気を与え、焼け野原から這い上がる日本の活力となったのではないでしょうか。


Hondaコレクションホールの展示より↑

やがて、ホンダを初め各メーカーが世界品質に追い付き追い越すべく、マン島TTなどの国際レースに出場。

国内でも昭和30年から、これを手本とした浅間山火山レースが開かれ、互いの技術開発を切磋琢磨するようになりました。


映像参照元;本田技研工業株式会社/「語り継ぎたいこと」/最初の『走る実験室』は浅間火山レースを走った

レースで勝つために生まれた技術が市販車にフィードバックされるのは、今に続くバイク技術発展の源原動力。

レースを制したメーカーのバイクはよく売れて、速いことこそがバイクの魅力の代名詞になっていきます。

つまり、スピードを増す技術力を高めることは世界を追い越したいという世の中の機運と重なり、レースで勝つことが何より効果のある広告だったわけですね。

昭和中期はバイクに対するネガティブイメージが形成された時代

昭和44年(1969年)にホンダからOHC4気筒のCB750FOURが、そしてKawasakiからも昭和47年(1972年)にDOHC4気筒を載せた900super4(Z1)が登場。

このころ既に日本のバイクは、「黎明期」と呼ばれる時代を脱し、それまでどこの世界にもなかったバイクで世界を驚かせながらリードしていく存在になっていました。

しかし当時の日本では昭和50年(1975年)から免許制度の改正により、大型二輪免許は試験場での「限定解除」試験でしか取得できないという狭き門に。

その背景となったのは、社会的に「バイク=暴走族」と言ったネガティブイメージを強く持たれことです。

大きな力を持つと威力に使う人が現れるのはバイクに限らずのことですが、バイクは「3ない運動」などが全国的に広まるなど、十把一絡げな形で社会的な制裁を受けるようになってしまいました。

一方、第一回目の鈴鹿8時間耐久ロードレースが開催されたのが昭和53年(1978年)。


恐らくこのタイミングでの8耐開催は、バイクのパワー・スピードが元来健全なものであることを示し、世の中のイメージを醸成しよういう狙いもあったのでしょう。

昭和後期~平成初旬は「空前絶後のバイクブーム」

「空前のバイクブーム」というフレーズがありますが、それは昭和57年(1982年)~平成2年(1990年)ごろのこと。

ピーク時の昭和60年(1985年)の二輪車販売台数は45万135台を記録しています。
※参照元;一般財団法人 日本自動車工業会 
二輪車販売台数(国内末端販売店向け出荷台数)

ちなみに、平成29年(2017年)のバイク販売数は約18万3,005台だったので、数字を見れば「ブーム」がどれだけのものだったのか、お分かりいただけることでしょう。

これはやはり、鈴鹿8耐がけん引したブーム。

このころ、メーカー間のバイク開発競争も白熱し、レーサーレプリカが早い時には数カ月でモデルチェンジすることもあるほどの時代でした。


ちなみに平成に改元したころ私が乗っていたのはFZR250-’88でした。

しかし、そうしたバイクの進化とは裏腹に、未熟なライダーによる社会性を無視したスピードブームが各地の峠で過熱化。

事故の多さから各地の峠道で「2輪通行止め」の措置が取られるなど、バイクは社会的にさらなる自粛を求められるようになっていきました。


各地に増えていった二輪通行止めの峠道、緩和された区間もありますが、ライダーのマナー次第ではいつこの標識がそこに復活するかわかりません。

平成の急激な「レプリカ→ネイキット」への不自然な舵きり

私がまだ大学生1年生だった昭和63年(1988年)後半頃放映された「NHKスペシャル」。

私の記憶が確かであれば、確かタイトルは「第2次交通戦争なぜ日本で死者が減らないのか」だったと記憶しています。

この番組ではバイク事故の増加についても触れられ、

「警察は各メーカーにレーサーレプリカの製造中止を要請した」と言っていたのを覚えています。

実際、毎年ものすごい勢いでレーサーレプリカが造られていた最中の平成元年(1989年)。

Kawasakiから、オーソドックスなスタイルを持ったゼファー400が実に唐突ににリリースされ、


しかもその年の販売台数で首位を獲得しました。

さらにその後も、HondaがCBR250RRからネイキットのJADEを派生させ、ヤマハも同様にイヤーモデルをFZR250RからZEALにスイッチ。

バンディット250・バリオスと、4メーカーそろい踏みとなります。

このとき、それまで「マシンの戦闘力」を煽ってきた各バイクメディアも、「乗りにくいレプリカは過去のもの、これからはネイキットの時代!」と手のひらを変えしたようで当時は驚きました。

非常にこの流れは、取ってつけたように不自然に感じられたのですが、お上からカットオフされていたんですね。

「逆車」のパワーを謳歌した平成中期

そこから約8年後の平成9年(1997年)に教習所で大型二輪免許の教習が開始されるや否や、翌年以降から海外向けスーパースポーツバイクを逆輸入するという形でレプリカブームが再燃。

これらを買い求めた中心購買層は学生時代を250・400のレプリカに乗っ過ごした世代。

就職して大人買いができるようになった彼らがこぞって手に入れたわけですね。

「平成」から「令和」バイク環境で一番変わるものは何?

平成は実に多くのバイクが生み出され、そして多くの車種が消えていった時代でもありました。

起死回生の兆しを見せた平成中期

輸入障壁をめぐる外圧がもたらした教習所での大型免許教習の解禁。

大型車に乗りやすくなったのは大いに歓迎されるべきことです。

しかし、結果的にバイクラインナップを大型車種に偏らせ、価格的にもエントリーユーザーとなるべき若年層からバイクを遠ざける結果にもなってしまったのではないかと思います。

追い打ちをかけるように、年々厳しくなる環境規制の影響でバイクの単価が上がり、バイク人口がピーク時の1/10まで減少し衰退が激しさを増していきました。

そこで業界が力を注いだのは125㏄~250㏄のクラスのラインナップ増強。

製造拠点をアジア新興国に移すなど各メーカーが、手ごろな価格で提供できる環境を整えたことが功を奏し、今このクラスが20代のエントリーユーザーに受けています。


2019年1月全国二輪販売台数1位に輝いたレブル

また、かつてのブームをけん引した昭和40年代生まれのライダー達も50歳前後となり、今や我が国のバイク人口の平均年齢は52.7歳

※(日本自動車工業会『二輪車市場動向調査』による)

スピード委託で楽しんでいた世代も、バイクと一緒にいられる時間をじっくりと愉しむ傾向を強める人が多くなったのか、今やツーリング志向のバイクが主力商品となっています。

そんな中、Hondaが昨年2018年のEICMA(ミラノ国際モーターサイクルショー)で発表したのはミドルクラスを中心としたラインナップ。

他メーカーもこうしたミドルクラスの復権を、令和では盛ん行うのではないかと思います。

SNSが創る新しいバイク文化

また、これまでスピードメインに売られて来たバイクでしたが、今の若い世代はバイクにそれ以外の魅力を感じているようです。

それは、「SNSの向こう側にあるリアルに触れるためのツール」としての認知。

つまり、SNSを通じて知ったきれいな景色やおいしい食べ物。

バイクはそうしたものを体験しに行くために最適なツールとして認知されてきているようです。

特に若い世代はハッシュタグでツーリング仲間を募ったり。

バイクの持つ機動性が、実はSNSと相性が良いものだったりすることを彼らは教えてくれています。

令和は「バイク+旅と体験」が主力に

2019年3月に開催されたモーターサイクルショー。

各メーカーの展示に共通して前面に見せていたのは、「バイク+旅」というテーマ。

業界目線で言えば、これはパワーとスピードメインのセールスからの脱却。

あえて昭和からの流れをお伝えしてきた理由はそこにあって、メーカー各社がスピード以外の魅力を前面に打ち出してきているところが過去の時代との大きな違いだと思うのです。

これによって令和では、非日常を体験するツールとして「バイク+旅」というのがさらに盛り上がっていくように思います。

さらに来るのはEV?

先述のモーターサイクルショーでは、Hondaから新たなEV車種が世界に先駆けて発表されました。

さらに、平成31年(2019年)に国内4社は、今年EV向けのバッテリーステーションや交換式バッテリーの規格化を行うためにコンソーシアム設立を発表。

そうした意味で、令和を迎えた今年はEVの創成元年ともいうべき年でもあります。

 

国産に限って言えば、現在発売されているEVモデルには航続距離の面で不安があり、まだまだ黎明期というべきものなのかもしれません。

しかし、先のコンソーシアムでの研究開発が進み、 バッテリー交換式EVのインフラが整っていけば、バイクのEV化は急速に進んでいくのではないかと思います。

具体的には、まずは小排気量車からEV化が進み、やがて大型車に波及していくという流れ。

ベンリ-エレクトリックを発表するHMJの加藤千秋社長

 

台湾メーカーのKYMCOも、6速ミッション+EV、しかも加速音響装置付きというEVスーパーバイク「SUPER NEX」を発表しています。

これは私もEVの既成概念を打破する1台と期待しているのですが、国内メーカーも新しいアイディアでEVバイクに革新をもたらしてくれえると信じています。

いずれにしても令和の時代は、今考えているよりもEVが身近で楽しめる世の中になるのだと私は考えています。

まとめ

今回は昭和、平成のバイク市場の流れを回想しながら、今準備されている事柄を踏まえて、令和のバイクシーンを予測してみました。

やはり「パワー」と「速さ」で購買意欲を訴求してきたわけですが、それはかなりリスキーな流れでもあった気がします。

改元を一つの仕切り直しとするならば、令和ではバイクを「安全に愉しむ」という方向に仕切り直していけるよう、意識を新たにしたいですね。




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